サドゥー、ババと言われている、インドの行者達がいる。
(詳しくは
wiki見てください。 時間があれば)
1997年位から、バックパックをしていて、各地で見かける事もあれば、逢う事もあったのだけど、最近まで、全然、気になっていなかった。
今までの僕には、インドの風景の1つだったのかも。
それがもうすぐ辞める今の会社で、僕の上司のIさんと仕事をしながら、色んな話をした。
お金について、本当に好きな事をしていく事について、思考の具現化、意識、今のこの世界はなんでこうなんだろうとか、カテゴリー的にはこんな感じだった。
2ヶ月弱の間だったが、とにかく色んな事を話したと思う。
丁度、僕もその時に、なるべくお金を使わず、音楽にかける時間を多くしていた時だった(といってもほんの数ヶ月前)、お金を使わなければ、働く時間を少なく出来る=音楽にかける時間が増やせるという単純なアイディアだった。
そこで話に出て来たり、サドゥーの生活に興味を持った。
でも、僕が見たり、聞いた、サドゥーの話はとても断片的。
ネパールにいる時、年に1回、シバァラトリというシバを祀るお祭りがあり、いつもインドにいるサドゥー達も北上してカトマンドゥにやってくる。
お祭りの後に、僕らのいつもいるタメルという街に彼らはやってくるんだけど、僕のお店兼部屋があったレストランに、施しを求めて来る事があった。
レストランのディスプレイとか、植物とかに興味深々でなかなか帰って貰えず、目を離すと、気に入った物を持って行ってしまうという感じだった。
友人のレストランオーナーも困ってはいたけど(彼らはマジックがあるからね)と、彼は仏教徒だが、敬意を払っていた。
また、アメリカ人の友達は、ひょんな事きっかけに、サドゥーと一緒に2週間、山を旅する事にした。
とにかく自由奔放で、行きたい方向に進み、眠りたい時に眠るという感じだったらしい。
そして、どこの宿でも、宿泊費、食費は払う事なく(さあどうぞという様な歓迎だったらしい)、彼も2週間の間、お金を使わなかったという事だった。
彼の話には、サドゥーらしいエピソードがある。
ある夜、ガンジャを吸っていたサドゥーが散歩に出たまま帰って来ない。
かなり夜も更けて、突然、何百の鈴の音と共にサドゥーが帰って来た。 首には何百の鈴を下げて。 彼曰く、村中の寺院、祠などにかかっている鈴を全部、集めてきたらしい。 そして、一房の鈴を、アメリカ人の友達の首にもかけてくれた。
また、日本人の知り合いの人は、全財産を盗まれて、洞窟で1年間暮らした経験が2回ある。(ご本人を僕も知っているのだが、この話は共通の友人からの又聞きで、細かいディティールが分からない)
その時もサドゥーだ。 洞窟は元々サドゥーの住んでいた場所を譲ってもらい、サドゥーから、数キロのハシシを貰う。 それを売ったお金で、食料を買い、洞窟で生活したと聞いた。
前出の会社の上司、Iさんとも、断捨離とか、物を持たない事の話を良くした。
物が無ければ、それをマインドする必要が無い。
お金を使う事でかかる時間、エネルギーも今の僕には無駄に感じてしまう。
鈴を盗んで来たサドゥー、何も持たない人間に、洞窟とハシシを提供したサドゥー。
基本が無だと知っていれば、簡単に手放す事ができ、またいつでも手に入れる事が出来ると、知っているんだと思う。