2017年 09月 05日
サイゴン音楽生活4年のまとめ&自分の音の構築、音楽について。 |
真面目なタイトルが、自身の成長を感じます。 あはは。
8/21に帰国しました。 今は少しづつ、日本の生活に慣れ始めています。人生の選択は自分次第ですから勿論、僕が望んだ通りのほとんど音楽に関する事だけに集中した、サイゴン滞在4年間でした。 いやー、楽しかったけど、大変だった。
最初の2年はややコマーシャルなバンドにいて、毎晩弾ける様な日々。 毎晩弾けるなんて、初めての事で楽しかった。 弾いては呑んだくれての日々。 イケイケです。
でも、1年半が過ぎて来ると自分の音楽をしていない事が、見に来てくれている人に嘘をついている様な気がして、また歌いたかったのもあり、見に来てくれているお客さんを直視出来なくなってきました。 お店の人が心配して、帽子を被ってうつむいて弾いている僕を覗き込んだりしてくれていました。
そのバンドの売りに行く方向性とも合わず、脱退。 自分のバンドを始めます。
ベトナムは、今の所、ベトナム1のバンドでも、カバーを弾いてみんなで歌い盛り上がる文化です。
僕がしているブルースは商業的に合わず、限られた場所のみでした(その頃、僕の歌も未熟でした。 今はまあまあ。 あはは。 人は正直に。 それでも、毎週オファーをくれる方がいて本当にありがたかった。 多分、一生忘れないです)。
自分の音の構築という部分に触れます。
僕は14の時に親が離婚、親父の会社が倒産、母が酒に溺れ始めます(ブルースでしょう? あはは)。
なので、14から中学、高校の長い休みが来る度にバイトして、親に何かを買って貰った事は、ほぼ無いです。 今、持っている機材も何も自分で買いました。 姉が働いて僕の学費を払ってくれて、それでやっと卒業した記憶があります。
僕が26から34歳位まで会社で忙しく働きました。 毎月5万ずつ母親に送金する為です。 忙しさから、音楽が出来なく、フラストレーションから飲んでは喧嘩して、良く警察沙汰でした。
良く妬まれます。 自由過ぎるのでしょうか? やってみたければ全部捨てて、やってみたら良い。 僕が恋人を作らなかったり、結婚をしなかったのは経済的理由です。 フレキシブルなビーガンを始めたのも、最初は経済的な理由でした。 8年位前、当時ネパールに住んでて、要は高価な肉を食べなければ、まだネパールで音楽を続けられるという簡単なアイディアでした。
誰にも会わず、引き籠り、ギターを弾いて、毎食同じ物を食べる生活を10年以上しました。
深みの無い音は出したく無い、突き詰めた先に出す自分の音に興味がありました。 だから僕はこの経験を選びました。
自分の曲を、まだちゃんとレコーディングをした事が無く、アルバムもありません(プロモーション用とかで困る事があるので、おいおいとは思っています。 あはは)。 まだ早い気がしていてもっと作り込みたい、多くのカバーをしていたのもその理由です(あと、言い訳ですがブルースロックは、カバーを弾く事が多いジャンルです。 あはは)。 でも、自分の音楽に傾倒した頃から、やっと25年近くかかり、自分の音、スタイルを見つけました。 僕はお金持ちになる事、生き続けて行く事より、大事な物があります。
最近は少しづつ、音楽以外のしたい事もやりたいなと思い始めています。 ギリギリ生活に飽きたのが本音です。 あはは。
ミニマリストなので物が無いのが心地良く、最近も物を減らす事に終始しています。 ベトナム生活の最後の一年も、白物家電(冷蔵庫、エアコン、洗濯機、電子レンジなど)はありませんでした。 全然、困らないですし、その方が健康にも良いと思います。 あと、その物が無い事への不満から解放されます。 僕を含めて、みんな、上手く行くと良い。 争いも疲れました。
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by rnrgypsy
| 2017-09-05 06:10
| music&trip